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正座は日本独自の文化

正座は、日本舞踊や歌舞伎、茶道や華道・香道といった文化芸能、柔道や剣道・空手・合気道などの武術の基本となる日本の伝統的な正しい姿勢での座り方です。
しかし、江戸時代以前には「正座(正坐)」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」あるいは「端座(たんざ)」などと呼ばれていました。

正座は元々 神道での神や仏教での仏を礼拝する場合や、江戸時代に征夷大将軍にひれ伏す場合にのみ とられた特別な姿勢であったそうで、日常での座法は 武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)や立膝で座る事が普通だったと言われています。

「正座は日本に古くからある座り方である」と日本国民の方のほとんどの方がそう思っていると思いますが その歴史は以外に新しく、武士の間で正式な座法となったのは室町時代 千利休が「茶道」を完成させ 茶室での座法を正座として定めてから後のこと。

公式の場で正式に正座が採用されたのは江戸時代、三代将軍 徳川家光の時代からで、それ以前は膝を折って座ることは"膝を屈する"として最大の屈辱と考えられていたようで、主君の前や親の前でも正座は決してしなかった と言われています。
これは家光が臣下に絶対服従させるために膝を屈する屈辱的な正座をさせたのだ というまことしやかな説があるほどですが、本当のことは分かりません。

その正座という作法が武士階級に広まったのは、幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より全国から集められた大名達が将軍に向かって正座をするという事が決められ、それが各大名の領土へと持ち帰られて広まったから と言われています。
また、この時代に畳が普及し始めた頃であったことも関係しているのかもしれません。
ただし、この時代の畳は今の畳よりも柔らかいものであったようで、正座もそれほど苦ではなかったのかもしれません。

そして、さらに正座が武士階級から一般庶民にまで伝わったのは、明治以降になってからのこと。
江戸中期より現在、正座の本格的な歴史は約400年。
正しい座り方=「正座」という呼び名のうえで認定されたのは戦前、修身の教科書の中で正座という言葉が使われたのが最初だと言われています。
つまり、言葉としての「正座」はわずか100年ほどの歴史しかない ということになります。
正座研究所 参考画像

正座の起源は中国?

正座は日本独自の文化だと思われている人が多いでしょうが、正座を生活習慣として定着させていたのは実は日本ではなく、中国だったと言われています。

昔の時代の中国人は日本の和服と同じように肌着に襦袢(じゅばん)をまとっていたのですが、当時の中国人には下着をはくという文化がなかったために家の中では正座をするという習慣が生まれたのだそうです。

中国で下着が はかれるようになったのはかなりの時代が下ってからで、中国で正座という座法は唐の時代までずっと続いたそうですが、徽宗皇帝の時代あたりから 胡人やアラビア人など多くの外国人が中国に流入してくると その影響で家には土間が出来、家の中でも椅子という生活が定着していきました。
そして、宋代には正座の習慣自体が全くすたれて無くなってしまいます。

正座という習慣は元々は中国で生まれたものだったのですが、中国では滅びてしまい、それが伝わった日本だけに独自の文化として現在も残っているのです。
正座研究所 参考画像

正座と罰

かしこまった場所での"正式の座り方"が「正座」なのですが、罰として正座を強要される場合があります。
今でも正座というと「罰として無理やりやらされるもの」という負のイメージが強いのではないでしょうか。

実際、昔の学校では教科書を忘れたり宿題を忘れたりすると正座をさせられたり、部活で先輩に罰として正座をさせられるというのは普通にありました。

正座は江戸時代初期に「平和な時代が来た」という意識を植え付けるために、それまでの武家儀礼を改め 正式な座り方を「正座」に改正しました。
(それまでは胡座が正式な座り方でした。)

正座は長時間続ければ足がしびれ動けません、これは相手に" 正殺与奪の権限 "を委譲している、ということになります。
つまり、正座は相手に危害を加えないという意味と相手に従順の意志を表現する姿勢なのです。

小笠原流礼法では、正座をするとき膝の上に乗せた右手を下に、左手を上に重ねるのが作法になっています。
武士にとって、右手は武器を使う手です、その右手を左手で覆い隠すことで「相手を襲う気はまったくない」ということを示す意味があったのです。

ちなみに、朝鮮半島では正座は" 罪人の座り方 "なのだそうです。
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正座と茶道と千利休

「侘び茶」の様式を確立させ 「茶道」を日本を代表する文化にまでした千利休。
彼は「茶聖」とも呼ばれ、現代の茶道にも多大な影響を残しました。

織田信長、豊臣秀吉という権力者達に仕えた利休は文化人の顔とは別に、野心家としての側面も持っていたと言われています。

当時は厳しい身分制度が敷かれていて、身分によって相手に対する座り方までが 決められていました。
それら身分制度に対する反発なのか、利休は「茶道」においては身分や性別で差別されることなく、茶室の中では皆平等に扱い茶を楽しむ ということを大原則と定めたのです。

茶室では もてなす主人も客人も皆 同様に正座をします。
正座は身分の低い下々の者が土下座をする時の座り方なので茶道の座り方として最適だったのでしょう。

また、茶室は狭いため より狭い空間で座れるようにとの理由から正座が選ばれたのかもしれません。
一説によると正座は室町時代の茶道から広まったのだそうです。

正座は「正式な座り方」あるいは「正式な場での座り方」という意味で、明治の頃に定められたごく短時間の間だけの特殊な座り方でした。
ところが「正」の字が勝手に一人歩きをしてしまい、それがいつの間にか「正しい座り方」と誤解され一般に普及したものと思われます。
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倚座と平座の歴史

椅子というものが日本の家庭の中で使われるようになったのは明治以降、それが さらに一般にまで根付いたのは戦後になってからのことです。
それまで日本の家庭では畳や床に座る「平座(床座)」だったのですが、床に椅子を置いてその上に座る「倚座(椅座)」が西洋文明の象徴として導入される様になりました。

今日では当たり前の事として使われる様になっている椅子ですが、その「倚座」も実際にはその意味を十分に理解されていない人が多いようです。

人の身体は立った時の姿勢がもっとも無理のない自然な姿勢で、身体への負担も少ないそうです。
しかし これでは疲れます、では 椅子に座ってみるとどうなるのか?

椅子に座ると当然足への負担はなくなり快適になります、ところが 骨盤が傾斜して脊椎に上半身の体重が直接加わるため身体への負担はかえって大きくなってしまうのです。
そう「倚座」は身体にとっては 決して" 楽な姿勢 "とは言えないのです 

逆にキツそうに見える正座は背骨の湾曲や骨盤の位置が直立姿勢にほぼ近く、最も身体に負担の少ない姿勢です。
一見 楽そうに見える倚座の方が正座よりも身体への負担が大きいというのは以外に思われる方も多いのではないでしょうか。

椅子は日本人が使い初めてまだ歴史が浅いためか 椅子に座ると改まった感じになり 心からリラックスすることが出来ないのです。
家庭での食事中 テーブルでの家族団欒に馴染めず、結局はリビングなどに座り込んでスキンシップしてしまうのは これが原因です。

また、結婚式の披露宴は椅子式の倚座で 葬式での酒宴は座式の平座で席を設けるのも これが大きな理由なのです。

たとえば、あなたが桜の季節に気の合う仲間達と連れだって お花見で宴会をしようと酒と食事を用意して出かけたら、花見の場にはテーブルと椅子がズラリと並んでいて「さあ、どうぞ お好きな席へ」と言われたら・・・困るでしょう、つまり そういうことです。
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